哀愁の

 『桂枝雀のらくご案内』(ちくま文庫)
 サブタイトルに〈枝雀と61人の仲間〉。枝雀はこの本のまくらで「どの噺も何百とある大阪落語の中から選んだ私の仲間なのです」と。つまり持ちネタを六十にしぼり、ネタを仲間としている。解説があって、「私の愛する仲間たちのノロケばなし」。その一つ一つ(一人一人)のおしまいのページ下端にカット(杉本征)が描かれている。これが、なんとも味わい・余韻として、効いている。(妻も気に入っている。この本、私は買った覚えがなく、妻に訊いた際のこと。彼女は買っていないけれど、読んでいた)。
 枝雀の、高座での写真(宮崎金次郎)が8枚。写真もいいのだが、配置の間合いがいい。1枚目は9人目、2枚目19人目、3枚目23人目、4枚目28人目、5枚目35人目、6枚目43人目、7枚目50人目、8枚目55人目。その間隔を数に置き換えると、10・4・5・7・8・7・5。わずらわしくなく、さりげなく、ふっとあらわれる。
 そうじゃないかなと思っていたが、カバーデザインはやはり南伸坊。(最初に見たのが、水木しげる『ねぼけ人生』)
 話し言葉。先のまくらの続きで「ネタのはなし、楽屋裏ばなし、むかしばなしにムダばなし。いづれも噺にひっかけましての六十プラス一席。おしまいまでごゆっくりおつきあいお願いいたします」。全編この調子の文体で、惹かれる。哀愁がある。
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 マシュマロテント『見えない』は、前回(『蛇含草ホテル』)に続き好(よ)き舞台だった。
 パンフのごあいさつで、武田操美が〈30年かかって、やっと鳴った電話でした〉が響く。
 扇町ミュージアムで見た芝居、少年は村の人々から石を投げつけられる。その一つが目に当たり、失明する。少女はその少年が好きで、この地から出ていってほしくなく彼の目を狙った。そんな話だったか、思い出した。「鉛乃文檎」。
 芝居は、つくづく間合いだと思う。セリフがない、ためらいの姿(小石久美子)。そこに芝居が生まれる
(10.27 13:00日曜日 アイホール)


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